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奨学生の紹介

 


エルエスエイチアジア奨学生に選らばれた皆さんはどんな若者たちなのでしょう?
ここでは彼らのことを知っていただくために、応募作文やスピーチ、学生交流会でのメッセージ、メールでの近況報告などをご紹介します。彼らの真剣でひた向きな思いが、きっと届くことでしょう。

 

[2011-15年][2002-10年]

第1回(2002年)奨学生


 

朴 英愛 さん

(中国出身・尼崎日本語学校卒業・女性)

 
「李秀賢君の勇気ある行動についての感想」  〜 応募作文より

  李秀賢さんの記事を読んで深い感銘を受けました。あのように若い年なのに命を失われて本当に残念だと思います。彼にもいろいろ夢があり、これからの人生も長いのに。
 彼の家族、友人、親戚方々の悲しみは言うまでもないでしょう。それも自分の国でもない異国の地で亡くなられて本当に心の痛い話です。
 この事件で思ったことは、少し深刻な問題です。日本には内と外の社会で特に外国人に対しては外の態度で接するので、時には本当の社会は冷たいなと感じるところが多かったのです。 李さんもたぶん日本で同じ目にあった時があると思います。けれども彼はその事件にあった時、まず人の命を救う立場にからその人を助けようとしました。最後の結果は本当に残酷でしたが、その精神はみんな見習うべきではないでしょうか。そして、外国人に対しての日本人の態度も少しは直したほうがいいと思いました。もちろん日本人全体がそうだとは思いません。これはこの記事をみて得たちょっと複雑な感想です。
 そして、人間の命って本当に一瞬だと思いました。だからまじめに生きることは本当に大切だと思います。どこで何をするにしても、正義感をもってまじめに自分の人生を歩まなければならないと思います。特に私達留学生は自分の目的をはっきりと自覚して、勉強に励まなければならないと思います。
 李さんは自分の夢を持ってそれに向かって努力しました。私も李さんのように、はっきりした目的で、まじめに勉強し、将来は多くの人に役立つ有能な人間として、生きて行こうと思います。


「私の日本語学習の目的」

 私の日本語学習の目的は自分の将来のため、夢をかなえるためです。
 私の夢は将来、インテリアデザイナーになることです。インテリアデザイナーになって、人間が住む空間を美しいものにしたい、そして、人を喜ばせたいと思います。
 昔の時代は家というのは住めればいい、広ければいいと思う人が少なくなかったです。しかし、今の時代の人々はもっと住みやすくしたい、もっと美しくしたい、夢のようにしたいと自分なりの考え方を持っています。
 私は高校を卒業後、韓国衛星放送で困っている人を助けてくれる「ラブハウス」と言う暖かい番組を見ました。その番組は二人の関係が良くない夫婦や家が狭くて住みにくい家族のためにインテリアの仕事をするデザイナーの話でした。その中の一人が日本で学習して才能を伸ばし、実力を身につけて韓国に帰り、自分の目的を実現しながら働いています。その時から私も彼と同じような道に進みたいと考えるようになりました。私のデザインによって、その人の環境を明るく、快適なものに変えることができ、心に喜びと安らぎをあげることができれば嬉しいことでしょう。また、インテリアの仕事はとても創造的な仕事です。私は日本に来てこれを学ぶ機会が与えられることを心から願っています。
 これが私の日本語を学習する目的です。


朴さんは、尼崎日本語学校、長崎国際大学をご卒業後、日本人の男性と結婚をされました。「国際結婚をした自分のこれからの役目は、国際交流のために行動していくことだと思っています」と第1回奨学生交流会(2007年10月23日、奨学会主催)でお話されていました。
 

 

第2回(2003年)奨学生


 

林 頴珊 さん 

(中国出身・ミツミネキャリアアカデミー日本語コース卒業・女性)

 
「李秀賢さんにありがとう」 〜 奨学金受領後、半年後の作文 より  

 日本に来たばかりのころ、早く日本語で話せるようにと、一生懸命頑張っていました。しかし、一人暮らしの自由な生活をするにつれて、最初の夢も進学の目標もだんだん曖昧になってきました。進路を決めるとき、自分の気持ちをかくして、ただ、まだ帰国したくないという考えで、授業料の安い専門学校に入るつもりでした。でも、願書を出す前に、李秀賢さんのことを思い出しました。「何で、私は奨学生としての自分を恥ずかしいと思っているの」「本当にビジネスの仕事がしたいの」と自分に聞きました。その結果、李さんのように真剣に自分のやりたい事に向かっていかなければと思い、改めてこの春のことを考え直しました。
 とりあえず、3月に日本語学校を終え、帰国する事にします。香港に帰ったら、父の友達が日本での仕事を紹介してくれるかもしれません。または、来年、本当に好きな日本文化を学びに東京に戻る事になるかもしれません。
李秀賢さんはきっと天国のどこかで、みんなに影響を与えていると信じています。
みなさん、自分の道に迷ったら、せひ、彼の遺志を思い出し、自分で自分の心を励ましましょう。
 

林さんは、帰国後香港でアルバイトをして、1年後に再び専門学校に通う留学生として来日をされました。そして、2008年2月、都内にある制作会社に就職をされたそうです。「ずっと日本で働くことを希望していたので、できるところまでがんばってみます」というメールを頂きました。

 

第3回(2004年)奨学生


 

斉 美 娜 さん

(中国出身・東京言語教育学院卒業・女性)

 
「私の日本語学習の目的」 〜 応募作文より 

 私は1年ほど前に日本に来ました。今は大学に入るために、日本語の勉強を頑張っています。そしてとても楽しんでいます。
 なぜ日本に来ることにしたのか、なぜ日本語を学びたいのかというと、自分を変えたいと思うからです。
 私は子供の頃から気が弱いです。いつも人前に立つと、思っていることがうまく伝えられないので、だんだん自信がなくなり、人との付き合いがいやになりました。数年間一人で閉じた世界で生きるようでした。しかし、自分らしく生きる道はきっとどこかにあると信じていました。幸いなことに、日本に留学することができ、日本語を勉強し始めてからというもの、私の世界は少しずつ開くようになりました。
 なぜなら、日本語を覚えたり、日本人と付き合ったりするうちに、私の感性に合う言葉が見つかったからです。例えば、しばらく人と離れる時、「元気でね」ということや、周りの人を応援する時、「頑張ってね」ということや、尊敬語と謙譲語を使ったら尊敬の気持ちを完全に伝えられることなどです。中国人にはうまく言えない気持ちが日本語でさりげなく、話せるようになりました。いつも胸がすっとしました。いろいろな新しい考え方ができ、前向きに歩けるようになりました。日本語に出会えたことが本当にありがたいと思います。一生日本語を勉強し続けると決心しました。更に今年は大学を目指して、心理学を学びたいです。できれば、将来様々な、困っている人を助けたいです。
 私は日本語がまだ下手ですが、これからもっと日本語を学び、身につけて、中国と日本の相違点を発見し、異なる考え方ができ、生きる道に迷っている人達と一緒に嫌なことを乗り越えたいと思っています。そして頑張ります。

 

斉さんは、「李秀賢さんを偲ぶ会4周忌」でも、素敵なスピーチをして下さいました。

 

「根気」 〜 故李秀賢君を偲ぶ会(4周忌)ご挨拶より

 本日は、イスヒョンさんを偲ぶ会にご参加させていただきありがとうございます。
 このたび、奨学金をいただいたおかげで、皆様とも知り合うことができ、大学進学も経済的に助かり、本当にありがたいです。感謝の気持ちでいっぱいです。今、大学受験も一段落して、日本に来てからのことをよく振り返ります。そして、そのたびに「根気」をいう言葉が浮かんできます。
 「根気」というのは、「大根」の「根」と「気持ち」の「気」という字を書き、とても簡単な言葉ですが、辞書には「物事を飽きずに辛抱強く続ける気力」という意味が書いてあります。今、留学生たちの姿、そしてイスヒョンさんの生命力は、この二つの文字をはっきり表していると思います。
 ここで、まず私を木に例えさせていただきたいです。木の根は土に根ざし、隠されていて、暗くても、寂しくても、足で踏まれても、雨に降られても、ずっと諦めず、我慢強くこつこつ伸びています。それはどうしてでしょうか。根は木がきっといつか土を飛び出し、たくましくなることを信じているからです。根は我慢すればするほど、強くなれるのです。根の活気があればこそ、木は強い生命力を持ち、成長していくわけです。そうしたら、暑いとき、風が強いとき、人の頼りになったり、人を守ったりできるのではないでしょうか。
 就学生の私たちは様々な目的を持っていても、様々な境遇にあっても、根気があることは共通していると思います。そして、絶対に周りに元気をあげていると思います。ふるさとを離れても、家族との絆が強いため、私たちの根はより堅固です。そんなにすごい夢は持っていませんが、誰にしても我慢強く努力を尽くしています。たまには、生きるために頭を下げなくてはいけないときがあります。別にプライドを捨てるわけではなく、ただ、プライドをもっと大切なところにしまっておいただけです。根気があるから、人を包容することができます。根気があるから、挫折なんて全く気にせず、素直に前向きに行くことができます。
 日本に来たのはいったい何のためでしょうか。苦労ばかりしているのはいったい何か価値があるのでしょうか。自分には失ったものと得たものとどちらが大切なのでしょうか。イスヒョンさんは今、天国でお元気ですか、と声を掛けたら、私は自分なりに今を大切に生きているよ、少しずつ成長しているよ、という声が聞こえてきます。なかなか割り切れないものですが、イスヒョンさんの根は私たちの心に根ざし、イスヒョンさんは私たちの中に生きています。これは私が信じていることです。みなさんもそう信じてください。自分の力を信じてください。イスヒョンさんの勇気を続けてください。
 根は気を支えるために、力を養っています。同じように、私たちも夢を支えるために、これからも根気をもって、イスヒョンさんの分もみんなで一緒に生きていきましょう。

 

第4回(2005年)奨学生


 

金 芝 暎 さん

(韓国出身・千駄ヶ谷日本語学校卒業・女性) 

 
「日本に来て見付けた大切な未来」 〜 応募作文より

介護や福祉について感心を持つようになったきっかけは、大学3年生の時に体験した小児癌センターでのボランティアでした。小さいのにとても幸せそうな顔を見せてくれる子供達に驚きました。いつの間にか幸せはこんなものだと勝手に決め付けていたかもしれません。ちっぽけな私の考えを広げてくれた子供達のために何ができるかと思いつつ美術治療を勉強し始めました。でもなかなかうまくできず自分でも知らないうちに子供達の握った手を離してしまいました。
 その後、日本に来て、お年寄りにお弁当を作って配ったり、韓国語を教えるボランティアをしたりしながら、老後はさびしく何もできないのではなく、新しい自分を見付ける旅だということを教えてもらいました。そのうち忘れていた大切なことを思い出し、高齢化の問題について韓国より先に取り組んでいる日本で介護の勉強をしようと決めました。数多くの老人ホームやリハビリセンターでボランティアとして一から十まで学んで自分なりの高齢化対策を立てたいです。
 先日、専門学校の見学に行きましたが実習室に陶器の皿が並んでいてお年寄りには重くて危ないのでは、という質問をしたところ、「今まで使った皿からいきなりプラスチックに変わったら寂しい思いをしますね」といわれました。この時私が目指す介護がはっきりわかりました。
 韓国は親を大切にして最後まで世話をすることが当然だという意識が根強く、きちんとした施設はたりないと思います。もし老人性痴呆症になったら老人も介護をする人もお互いにくたびれてしまいます。こんな韓国の状況をみて家族とお年寄りの目線で考える介護、お年寄りが生きがいを感じられる介護、暖かい介護を目指していきたいと思います。
 

金さんも「李秀賢さんを偲ぶ会 5周忌」で、素敵なスピーチをして下さいました。
 

「李秀賢さん お元気ですか」 〜 故李秀賢君を偲ぶ会(5周忌)ご挨拶より

 せわしなく過ぎる日々の中である日、一本の電話をもらいました。李秀賢さんを偲ぶ会でのスピーチの依頼でした。一瞬で染みてきた緊張感で頭の中が真っ白になったと同時に日本に来てからの1年4ヵ月のことが走馬灯のように浮かびました。「私はなぜ日本に来ることになったんだろう・・・」。
 粉雪が舞うある日、韓国で祖父に会いました。祖父に会えたのはこれが最初で最後でした。その時祖父はもう韓国人ではありませんでした。その理由はわかりませんが、でも家族は誰もその理由を祖父の娘である母に聞きもしなかったのです。
その後、祖父は日本で亡くなりました。
 祖父の青春を追いかけて飛んで来た日本で私は李秀賢さんの奨学金をはじめかけがえのない出会い、恩返しできないほどあふれる幸せというプレゼントをもらいました。日本に来てからお年寄りのためにお弁当を作って配ったり韓国語を教えたり、いろいろなボランティアをしながら教えてもらった人生の知恵は自分をさらに成長させてくれました。アルバイトで疲れてしまうと週末は休みたい気持ちも強かったのですが、会うたびに見せてくださるお年寄りの笑顔に元気をもらい、また、介護を勉強してみたいという気持ちをもつようになりました。
 でも会えない祖父に対しての切なさは決して忘れられるものではありませんでした。
 授与式の日、李秀賢さんのご両親にお会いしてふと思ったことがありました。時間が経っても経っても忘れられない痛みの中で涸れない涙でいっぱいの李秀賢さんのご両親の手をギュッと握りしめたいなあと。そして韓国に帰ったら母のさびしい手をギュッと握りしめたいなあと。
 痛みを分け合うのは難しいかもしれませんが、私を含めいろいろな人の胸に刻まれた彼の勇気は永遠なのかもしれません。李秀賢さんからもらった勇気は、私はもちろん他の留学生にとっても壁にぶつかった時に乗り越えられる力になると思います。日本に来てからいろいろなことを学んでみつけた介護への思いは自分にとって宝物になりました。これからも頑張り続け韓国の高齢化社会で何らかの役割を果たしたいと心に誓っています。
 悲しみの冬が過ぎ李秀賢さんの青春は自分の夢をかなえるために頑張っている留学生の心でいろいろな形で花咲くと信じています。きっと。
 李秀賢さん、お元気ですか。

 

第4回(2005年)奨学生


 

ウディン・イスラムさん  

(バングラデシュ出身・与野学院日本語学校・男性)

 
「わたしの夢」 〜 応募作文 より

 今わたしは日本で日本語を勉強しています。わたしの夢は国で旅行の仕事をすることです。旅行の仕事はいろいろな人にあえるからすきです。旅行の勉強をしに日本へきました。
 わたしの国はとてもきれいな国です。しぜんがきれいです。たとえばバングラディシュの海岸は、アジアで二番目に大きくてきれいです。森がたくさんあります。この中に、いろいろな動物や鳥などがいます。有名な古いお寺がたくさんあります。とてもきれいですから世界の人がたくさん旅行します。日本人ももっとバングラディシュに来てほしいです。
 日本とバングラディシュの関係は、とてもいいです。日本はバングラディシュの経済がよくなるようにてつだってくれます。たとえば日本のお金ではしができました。病院ができました。町がきれいになりました。
 でも日本人はあまりバングラディシュのことを知りません。バングラディシュ人も日本のことをよく知りません。ですから旅行はあまりたのしくないと思います。わたしは日本で日本のことや旅行の勉強をよくして、国へ帰ってからバングラディシュへ旅行に来る人にいろいろ教えて案内してあげます。そして旅行した人が「たのしかった」「また来たいです」と思ってほしいです。そういう旅行の仕事をずっとしたいです。
 

ウディン・イスラム さんは、与野学院日本語学校卒業後、専門学校に進学され、2008年の4月より横浜にあるホテルに就職して、現在正社員として、頑張っているそうです。
 

2008年10月22日に奨学会が開催した「第2回奨学生交流会」では、後輩奨学生に次のようなお話をして下さいました。
  
奨学生の皆さん、これからもいろいろ大変なことがあると思いますが、絶対に夢を諦めないで下さい。将来日本で就職したいと考えている人は、今の日本語学校やこれから進学する専門学校や大学で、一生懸命勉強して下さい。それが夢を叶える一番の近道です。私も日本語学校、専門学校合わせて3年通いましたが、3日しか休みませんでした。授業も真面目に出席し、真剣に勉強しました。就職試験の時に、どんな学生生活を送っていたのかが最も重要視されました。外国人が日本で就職するのはなかなか難しいとい思いますが、待っていてもチャンスは来ないので積極的に行動してください。私も毎日10件以上のホテルに電話をかけ続け、なんとか面接をしてくれるホテルを探しました。まさか採用されるとは夢にも思っていませんでしたが、やる気が認められた結果だと思います。今も日本語では苦労していますが、ホテルはサービスを提供する仕事なので、お客様に喜んでもらえるよう心を配って毎日一生懸命働いています。

 

第5回(2006年)奨学生


 

HERIYAI さん 

(インドネシア出身・東京日英学院卒業・女性

 
「10年後の私」 〜 応募作文より

 小学校を卒業するとき、私たちは先生と一緒に旅行へ行きました。トバ湖という観光地でした。そこは母の出身地です。先生は私たちにトバ湖の説明をしてくださいました。その時の先生の話や友だちの様子は今でも思い出すことができます。小学校最後のいい思い出です。
 私はガイドになりたいと思いました。そのために自国のことだけでなく、他の国についてもいろいろ知りたいと思いました。外国語も覚えなければなりません。それで、私は今日本で勉強しています。
 10年後の私は、きっとプロのガイドになっていると思います。日本で勉強していろいろな国の学生と友だちになりました。その国々の文化も知ることができました。文化や習慣の違いにも興味があります。以前よりももっとガイドになりたいという気持ちが強くなりました。自国のことはもちろん、いろいろな国のこと、人のこと、文化、全てのことを吸収して、誰にでも満足してもらえるようなガイドとして、喜びや楽しさや幸せを共有できる人間になりたいです。10年後の私は、きっと、世界を飛び回って生き生きと仕事をしている人間になっていると思います。
 今、日本語学校で勉強していますが、卒業したら進学して、さらに観光の勉強をしたいと思っています。でも日本の物価は高いですから、一生懸命勉強する一方でアルバイトもしなければなりません。そんなとき、学校で奨学金のお知らせがありました。李秀賢さんのことも聞きました。本当にすばらしい人だと思います。私も、もっと元気を出して、李秀賢さんの精神をもって頑張ろうと思いました、一生懸命勉強して、自分の夢の実現のために頑張りたいと思います。

 

第6回(2007年)奨学生


 

HUYNH THI BICH HANH さん

(ベトナム出身・与野学院日本語学校・女性)

 
〜 奨学金受領後、半年後の作文より

奨学金を頂いて、ありがとうございます。
時間はあっと言う間にたちます。日本に来てもう1年半になりました。日本に来て何も知らない私はとても困りました。家族から離れて留学するのは誰にとっても簡単なことではないと思います。日本は物価が高い国です。生活するためには私はみんなと同じで勉強しながら、アルバイトもしなければなりません。毎日忙しい日々を送っています。ある日、学校の先生に呼び出されて「あなたは奨学金がもらえます。」と言われました。私はびっくりしました。奨学金をもらえるとは思いませんでした。この前「李秀賢さんを偲ぶ会」へ行って朗読劇を通して、李秀賢さんの勇気ある行動、人間愛を知ってとても感動しました。私も李秀賢さんみたいな人生を送りたいです。しかし、日本語学校を卒業しましたが、私は進学しないで帰国することにしました。いろいろ悩みましたが、家族の事情で私は帰らなければなりません。学校の先生とか友だちは残念と言ってくれて私はとてもうれしいですが、今でも残念です。でも帰国したら、国で日本語を生かすつもりです。実は私はずっと保育園でアルバイトをしていました。今年ベトナムで保育園を開く予定があるので、日本の保育園の経営者は一緒に働こうと言う話しをしてくれました。ベトナムでは韓国人や台湾人のための保育園はありますが、日本人のためのものはないようです。私の経験はベトナムに帰っても、日本人のために役立ちそうです。今後は日本人の子供に忘れられないベトナムの思い出をつくってあげたいです。私は帰って日本語を勉強し続けてがんばりたいと思います。1年半日本に留学したことは私の人生で忘れられない思い出です。

 

第7回(2008年)奨学生


 

朴 喜 民 さん

韓国出身・ヨハン日本語学校・女性

 
早いものであの事件からもう7年という時間が経った。2001年1月の外信で知った韓国人留学生李秀賢さんの衝撃的で感動的な事件。東京の新大久保駅で酒に酔い、線路に落ちた乗客を救い出すために飛び込み、来た電車を避けられずに亡くなった事件。

 韓国でこのニュースを聞いた時、なにか分からない憤りとまた別の強い感動を覚えたのを今でもはっきり記憶している。韓国の名門大の卒業を控え、韓日間のかけ橋になるために留学を決めたという李さんの死が、ただの酔客のためだったことがとても悔しく感じられた。彼の死がそれほど価値があったのか疑問さえ生じたが、確かなことはこの事件以後、韓国に対する日本人の意識が変わる契機になったことは間違いない。国境を越えた犠牲的な精神を見せてくれた李さんの純粋な人間愛を追慕するインターネットの掲示板には、利己主義にまみれて生きる現代人への警鐘のメールがある一方で、中高校生の彼を慕う心のこもったメール、「お兄さん、あなたの死は決して無駄ではなく、私はあなたのような人になりたい」などを読み、"ただの酔客のため"と思い込んだ自分が恥ずかしかった。「お前は私の手を去ったが国に影響を与えた存在になったな」という李さんのお父さんの言葉にある種の戦慄さえ感じられて胸が痛む。子が死ねば胸に埋めるという話がそのまま伝わった瞬間だと思った。

 日本に来てちょうど一年。日常会話ができるようになって日本人が分かりかけている今、教科書にないありのままの日本文化を体験している。その中で私が"切ない"と感じることは、他のどの国よりも両国の人は交流が活発なのにお互いの国のイメージは期待するほど良くないことだ。「日本」という単語だけでも拒絶感を持つ韓国人。「韓国」という単語だけでも激しい国民性が嫌いだという日本人。この現実の中で両国の"ガイド"役を志している私。単なる観光ガイドではなく、文化、価値観、愛国心などまるごとの日本を理解し紹介できるようなガイドを目指している。その大きな夢の実現のため勇気を与えてくれた李秀賢さんに感謝します。

 

第8回(2009年)奨学生


 

馬 蘭 芳 さん

中国出身・クローバー学院・女性

 
  初めて李秀賢という人の名前を聞いたのは日本へきたばかりのころだ。先生が「彼は危険をものともせずに、線路に転落した見知らぬ人を助けようとしたんだよ」と言った。何も考えず、知らない人を助けるのは自らの人生観と世界観によって決まると思う。彼の人生をもとに作られた「あなたを忘れない」という映画を見ることによって、彼の性格と理想を理解できた。彼だけでなく、彼の父親の印象も残った。彼の父親は彼に強く影響を与えたと思う。韓国で軍人として訓練する時や、日本で困難にぶつかった時も、父親との話の場面を思い出していた。また、富士山の山頂についた時の「この富士山みたいに、お父さんは大きいです」という彼のことばが私の心に強く響いた。父親がそばにいないが、いつも彼の心の中にいる。彼は父親に対して感謝に堪えない気持ちを持っていると思う。どこからともなしに、出てくる無限大の力が彼を支えているのだろう。

 彼は母国と日本の「かけはし」を目指して、日本へ来た。ある日タクシーとぶつかった。周囲の日本人は彼が外国人と知って、皆無視して離れた。ショックを受け、帰国した彼は親に何も言わなかった。しかし、父親は何かを感じているように、彼に「自分が決めた事を最後まで頑張ろう」といった。そして、彼は自分の目標のために日本に戻ってこれた。

 お父さんは山のように沈黙しているが、彼に安心感を与える。お父さんは海のように平然としているが、何でも受け入れる。

 父に対して、私は彼と同じような思い出を持っている。私は今日本に住んでいる。父の言葉を思い出すたびに、心から強くなれる。これから、彼の精神とともに、父のことばも支える力に変えて、頑張ろうと思う。大学のコミュニケーション学部を目指して、日本の文化を学びつつ日本人に中国の文化を紹介し、できる限り中国と日本の「かけはし」を目標に勉強を続けたい。

 

第8回(2009年)奨学生


 

呉 姿 儀 さん

台湾出身・東京ギャラクシー日本語学校・女性

 
 
私はいつも笑顔でいること、自分の周りの人達を大切にすることを心掛けている。どんなに小さなことでも困っている人がいたら力を貸したいと思ってきたが、ある日、学校の先生から奨学金の案内で、自分を犠牲にしてまで人の命を救くおうとした李秀賢さんの話を初めて聞いた時、大きな衝撃を受けた。私が心掛けていることは、彼の行為にはとても及ばない。だが、彼の誰かを助けたいと思う強い気持ちに共感すると同時に、勇気付けられた。

 私は6年前に母を癌で亡くした。突然の癌の宣告からあっという間の出来事だった。母が亡くなってから、愛する母への感謝の気持ちを全然伝えられなかったことに気付いた。もっと大切にすれば良かった、母がいるだけで幸せだったと、言葉にして伝えたかったと悔やんだが、いなくなってから悔やんでも遅かった。だからこそ今、自分にできることをしなければならない、母から受けた愛情を、母に返せなかった分も、周りの人々に注ぎたいと思うようになった。感謝や嬉しい気持ちなどは、まっすぐに相手に伝えるようにしたいと思うようになった。そして、これから先の人生を周りの人と助け合いながら、前向きに精一杯生きると母に誓った。

 「自分さえ良ければいい」という気持ちでは、人は幸せにはなれないと思う。また、「自分さえ我慢すればいい」という気持ちでも、人は幸せにはなれないと思う。助け、助けられ、人は生きていくのだ。私は、自分が助けた人が自分に恩返しをしてくれなくてもいいと思っている。自分が助けた人が他の人を助け、また更に他の人を助けていく。そんな優しさの連鎖が起こればいい。李秀賢さんにはもう、お礼をいうこともできないが、彼の気持ちは今も誰かに伝わり、行動を起こさせているはずだ。私も彼の人助けの精神を見習い、周りの人に接していこうと心に決めた。


 

呉姿儀さんは「李秀賢さんを偲ぶ会9周忌」でも奨学生代表としてご挨拶をして下さいました。

 私が日本に来てから2年が過ぎようとしています。勉強を始めて1年が過ぎると、思うように日本語が上手くならないことや、勉学とアルバイトの両立の難しさに苦しんだり、進路について悩むようになりました。自分に自信が持てなくなりました。そんな時、奨学金の募集があり、作文を書きながらいろいろ考える時間が持てました。何よりも李秀賢さんを知ったことで、またがんばろうという気になりました。私も秀賢さんのように強くなりたいと思いました。

 

第9回(2010年)奨学生


 

SHAHI MIN BAHADUR さん

ネパール・東京国際文化学院・男性

 
 
私は2009年6月28日に日本に来ました。もうすぐ1年ぐらいになります。横浜の東京国際文化学院で日本語を勉強しています。勉強はとても楽しいです。私の学校にはいろいろな国からの学生が来ています。日本語が少し話せるようになったとき、私はいろいろな国の学生と友達になりました。いろいろな国の人と話しました。そして友達の国の文化を教えてもらいました。例えばスリランカ、中国、韓国、インドです。

 私の夢は法律の勉強を日本ですることです。そして弁護士になって日本で働きたいです。なぜかというとアメリカ人、イギリス人、オーストラリア人、インド人などの弁護士はいますが、ネパール人の弁護士はいないからです。私はネパール人の弁護士として、日本で生活するネパール人の困っている人たちを助けてあげたいと思っています。日本に住んでいるネパール人は日本語を話したり書いたりできない人がたくさんいます。そのためにビザやビジネスの問題で困っている人が多いです。私はネパール人弁護士として日本に住むネパールの人たちの問題をかいけつしてあげたいです。日本に生活するネパール人が幸せになってほしいと思っています。ネパールと日本のかけはしになりたいです。さらにネパール人だけではなく日本にいる中国人やインド人など世界の国の人たちを助けることもしたいです。

 そのためには日本に住む人たちの共通語の日本語を学ぶことがとても大切だと思っています。今、日本語学校でいろいろな国の人と話せるようになったのは、私たちの共通語の日本語がおたがいにできるようになったからです。これからもいろいろなことが話せるように日本語をもっと勉強したいと思っています。日本語で沢山の人と沢山のことが話せるようになりたいです。そして自分の夢を実現させるためにがんばります。

  

第9回(2010年)奨学生


 

金 彗 螺 さん

(韓国・東京國際大学付属日本語学校・女性)

 
 私は韓国の警察官です。私は『冬のソナタ』というドラマで、日本人もよく知っている春川という所で勤務しました。春川は『冬のソナタ』で日本の女性に人気があって、日本の観光客がたくさん行く所です。始めは日本語に関心があったので日本語の勉強を始めました。しかし現在、韓国を訪れる日本人観光客たちがますます増えているし、日本人観光客が困った時、手助けになることができる警察官が必要だと思います。今年、韓国に観光に行った日本人女性が失踪した事があります。失踪者の息子は日本から韓国の警察に届けました。その時、警察の人は日本語がわかりました。しかし、もし韓国の警察が、日本語ができなかったらとても困ったはずです。それで私の夢は、日本語が上手になって、韓国を訪ねた日本人観光客や韓国に居住中の日本人が困った時、手助けになることです。これは線路に飛び込んだ故李秀賢さんの心と一脈相通ずると思います。私は現在、平日は4時間以上、休日は8時間以上日本語を勉強しています。韓国で警察勤務をして貯めた二十万円を持って来ましたが、仕送りは全然ないです。それで、お金が切れれば、アルバイトをしなければなりません。今回、エルエスエイチアジア奨学金がいただけたので、もっと熱心に勉強して、日本と韓国の交流のために熱心に働きます。

  

第9回(2010年)奨学生


 

金 彗 螺 さん

(韓国・東京國際大学付属日本語学校・女性)

 
 「日本で私の夢を果たす」 〜 奨学金受領後、半年後の作文 より

 

 最近、これからまた、1年間、日本語の勉強を続ける私と違い、ヒラガナから日本語の勉強を始めた友達が皆、卒業して自分の夢に向かって進んでいるのを見て、最近、私は今のままで大丈夫かしらと焦りぎみでした。そう考えていたある日、いきなり、地震とともに津波が来て福島の原子力の放射能のことまで問題になり、国の家族から「早く帰ってきなさい!」と言われました。パニック障害を持っている私にとって「今の日本は危なすぎる状態だ」と感じて帰国する準備をしていたところ、ニュースで放射能の被曝の危機にもかかわらず命をかけて原子力発電所の現場で総力を尽くしている人や、ボランティアをする人をみてふと思いだしました。私はエルエスエイチアジア奨学金をもらうための作文で「どんなことにも諦めず、日本で私の夢を果たす」と書いたのではなかったか。そのとき、逃げ出そうとした自分自身が恥ずかしくなってきました。

 自分の人生の時間をかけて日本の国民の安全を守ってくれたその人たちや、人を助けるため命をかけた李秀賢さんのように、これからはここで小さなことでも周囲に気を配って誰かを助けながら、私の夢を目指して生きようと思っています。

  

第9回(2010年)奨学生


 

楊冬 さん

(中国出身・メロス日本語アカデミー卒業・男性)

 
 
「母国、日本、世界に貢献したい」 〜 奨学金受領後、半年後の作文 より

 

 日本語学校での勉強が、ついに終わりました。千葉大学大学院工学研究科に合格できたのは本当に幸運でした。先生たちや友人たちと離れるのは寂しいですが、新しい道に旅立っていきます。今の私があるのは、本当にメロス日本語アカデミーと貴奨学会のおかげです。心から感謝の気持ちを捧げたいと思います。

 日本はいま未曾有の大震災の被害に悩まされ、多くの留学生が不安や恐怖から帰国・一時帰国を余儀なくされました。私がアルバイトをしているスーパーも食料が品薄で大変ですが、私も他の従業員の人も、日本で頑張り続けています。

 これは、地震がある程度おさまった今だから言えることなのかもしれませんが、地震があった時、私は本当にびっくりしました。しかし、もっと驚いたのは、その後の報道で、地震によって倒れた建物がほとんどなく、津波に押し潰された建物が大多数であったと聞かされた時です。中国では、地震があった時、建物の倒壊が原因で亡くなった人の数は計り知れません。建築の道を志す私にとって、必ず検証し、日本から学びとらなければならない点であると考えています。私は、この4月に千葉大学大学院に進学しますが、故李秀賢さんのように、勉学面でも頑張り、充実した大学生生活を送るつもりです。そして大学で学び得た知識で、母国や日本、そして世界に、力を尽くして貢献していきたいと思います。

  

 

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