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奨学生の紹介

 


エルエスエイチアジア奨学生に選らばれた皆さんはどんな若者たちなのでしょう?
ここでは彼らのことを知っていただくために、応募作文やスピーチ、学生交流会でのメッセージ、メールでの近況報告などをご紹介します。彼らの真剣でひた向きな思いが、きっと届くことでしょう。

 

第15回(2016年)奨学生

 

MUHANNAD SYIHABUDINさん(インドネシア出身・静岡インターナショナルスクール)

 
「将来の夢」 〜 応募作文より

 私の子供の頃からの夢はエンジニアになることでした。私は子供の頃から自動車が大好きで、どうやって自動車が作られているのか、どんな機械によって自動車が動いているのか、などに昔から興味を持っていて、自動車の会社まで見学に行くほどでした。

 高校を卒業した後、大学の機械学科に進学するつもりでしたが、家が裕福ではなく、お金のことが問題になり、大学進学はできませんでした。しかし諦めきれず、自分で大学進学資金を用意するため、高校を卒業した後、就職することにしました。就職してからも進学先を探しつづけ、様々な可能性を考えていました。その時に見つけたのが日本留学という道でした。なぜなら、日本の技術はとても高く、そこで得た知識は世界でも通用すると思ったからです。5年間働きながら貯めたお金は充分とはいえず不安もありましたが、その貯金で来日することにしました。せっかく夢への一歩がふみだせたので、アルバイトしながら辛くても、頑張ろうと思っています。

 今、私は日本語学校に在籍し、日本語を勉強しています。日本へ来て、8か月が経ちましたが、少しずつ慣れてきました。日本は物価も高いし、学費や家賃や生活費なども自分で払わなければならないので、アルバイトの給料をもらっても不足したこともあります。ですから、できるだけ節約しようと心がけています。日本は母国に比べ規則も厳しく、ここで暮らすことは大変なこともありますが、自分の経験にもなり、視野も広がります。何よりも自分の夢を叶えるための生活です。諦めずにこの生活を続けて、頑張りたいと思います。そして日本語の能力を高めて必ず日本語能力試験N1に合格したいと思っています。私には沢山の目標があります。大学に進学する為に、新技術の自動車の機械を開発する為に、プロのエンジニアになる為に、頑張り続けて、最後まで諦めないでやりぬこうと思っています。

 

第14回(2015年)奨学生

 

蔡沛瀚さん(マレーシア出身・アジア文化学生協会卒業・男性)

 
留学を決めた理由」  〜 応募作文より

 小さい頃、私は体が丈夫ではなかったので、いつも病気になってばかりでした。体が弱い私のために、両親はいろいろな健康補助食品を買ってきてくれました。その商品の瓶のふたには「日本で作った」という意味の英語が書いてありました。これが私と日本の最初の出会いです。このことをきっかけにして、日本に興味をもつようになりました。

 体が弱い私は、病気の苦しみをだれより知っています。子供のころ、私将来医者になりたいと思っていました。しかし、中学二年生の時、祖父が突然の喘息で発作により亡くなって、その原因がタバコによるものだと分かった時、医者に頼るより、自分の体は自分で守らなければならないと思うようになりました。祖父の死は私に健康の大切さを教えてくれました。同時に、食生活の重要性や栄養バランスの必要性を考えるようになりました。そして、私の将来の夢は医者から栄養士に変わりました。

 日本の国民の平均寿命は世界一長いと言われています。その理由は日本の良い食習慣によるものです。また、日本は最先端の健康補助食品の技術を持っているので、将来栄養士になりたい私にとって、日本に留学することが一番いい方法だと思いました。

 私は日本の大学で栄養学を専攻したいです。栄養士になったら、私の母国、マレーシアの国民の健康問題を解決したいです。なぜなら、現在マレーシアは多くの間違った食習慣を送っていて、肥満の問題が深刻だからです。私は日本で学んだ知識を生かして、母国の問題を解決したいです。亡くなった祖父のような病気を防ぐために、人々に健康の大切さを教えたいです。

 

第13回(2014年)奨学生

 

李俊傑さん(中国出身・千駄ヶ谷日本語教育研究所付属日本語学校卒業・女性)

 
日本へ来て知ったこと」  〜 応募作文より

 来日して早くも9か月が経とうとしています。この9か月間、学業やアルバイトに追われる日々の中、日本人の他人への心遣い、日本の交通機関の正確さ、街の美観などに驚かされましたが、一番驚いたのは、国民健康保険制度です。この制度は留学生も利用でき、日本人と同じ3割負担で治療を受けることができる素晴らしい制度だと思いました。

 私は日本へ来てから、一度体調を崩し、病院に行ったことがあります。その時、病院の清潔さや効率の良さなどに感心しましたが、何より風邪で病院に診察に来ている人の多さに驚かされました。もちろん中国にも風邪をばかにしてはいけないという言葉がありますが、病院での治療費は高額であるため、多くの人は病院ではなく、安くすむ薬局に行く習慣があります。私の母は腰の病気を患って、本来は早急に手術をしなければなりませんが、中国の病院は医療費が高額であるにもかかわらず、前払い制で、何かあった場合でも、一度支払った治療費は戻ってきません。そのため、リスクをおかしたくない母は治療を拒んでいます。中国にも日本のような国民保険制度があれば、母も安心して治療を受けられるのではないかと考えました。

 日本で生活し、社会保険制度についていろいろ調べていくうちに、日本では少子高齢化が深刻化し、国民保険制度を含む社会保障は大きな転機を迎えているという事実を知りました。これは今後高齢化がハイスピードで進行すると予想されている中国も他人事ではありません。そのため、私は日本の大学院で、日本の社会保障制度について研究してみたいと考えています。そして日本で学んだことを将来、国の多くの人のために役立てたいと思います。

 

第12回(2013年)奨学生

 

AKITI NAVEEN REDDYさん(インド出身・東京日英学院卒業・男性)

 
留学を決めた理由」  〜 応募作文より

 日本は開発の国です。特に技術の国だと言われています。日本ではいろいろな物が作られています。世界中どこでも今使っている物は日本から輸入しています。

 私は国で電気工学部を卒業しました。それで、私は電気技術に興味があります。日本の行く所どこでも、高い技術が見つかります。たとえば新幹線です。それは世界最速の列車です。新幹線はまだ私の国にありません。また、インドは大きな町にしかメトロが走っていません。ですから、私はインドに新幹線や地下鉄がもっとあればいいと思います。私の興味はそれだけではなく、電気自動車も好きです。それで日本の大学で電気自動車のテクノロジーを学んで、インドで作っていくのが私の夢です。インドは大気汚染の問題があるので電気自動車を使えば、大気汚染が減ります。

 ことばは自分の国と外国との通信に必要です。また、知識、技術を学び、理解していくために必要です。私はカラオケや歌舞伎のような日本文化も好きです。もっといろいろなことを知りたいです。そのために日本語をもっと勉強しなければなりません。私は日本語学校を卒業したら、大学へ入学し、電気技術と都市計画を勉強します。そして、日本とインドの発展のために、貢献できるように努力をしていきたいと思います。

 

第11回(2012年)奨学生


 

崔在佑 さん(韓国出身・東京ギャラクシー日本語学校・男性)

 
「これからの夢」
 〜 応募作文より

 私は政治家になって、創造的な政策を作り、弱い立場の人を助けたい。

 私は小さい頃から他の人を手伝うことに喜びを感じてきた。自分の周りの人を助けることはもちろん大切だが、私はもっと多くの人、特に弱い立場にある人を助けたい。そのためには、正しい政策、新しい政策が必要だ。

 私の名前は「在佑」と言い、「ある」と「手伝う」という意味がある。名前の由来のとおり、私は人々を手伝いたい。その想いを実現するために、政治家になるという夢を叶えたいと思う。

 韓国である特定の地域を経済発展させようという政策をニュースで見て、その政策に疑問を感じた私は、色々調べた。その結果、確かにその地域は発展をしたが、その地域から追い出されてしまった人がいたり、弱い立場の人を無視した政策であることがわかった。

 それは、問題を解決するために目の前にあることだけ考えた政策であり、弱い人の気持ちや未来への影響などを無視した想像力にかけたものである。それが韓国の政治には足りないものだと思った。

 そのような時に、私が日本へ来るきっかけになった映画「ひみつ」を見た。この映画を見たときにストーリーの斬新さに驚き日本人の想像力のすごさを知った。その映画を見てから、日本の漫画と小説も読み始め、日本の作家江國香織と村上龍を知って、好きになった。どの作品も今まで読んだことのない新鮮なものが多く日本人の考え方がもっと知りたくなった。そして日本人の想像力を学び、それを生かした政策作りができる政治家になりたいと思うようになった。

 また、韓国の法律は、日本の法律の95%を手本としている。そのため、日本の大学で法律を学び、日本人がどのような意図でそのような政策を作ったのかも知りたい。そして韓国にその知識を持ちかえり、韓国人にとっていい形での政策を作りたいと思う。

 

第11回(2012年)奨学生


 

王義 さん(中国出身・愛知国際学院・女性)

 
「日本留学中に感動したこと」
 〜 応募作文より

 感動は一つの光であります。それは心が寒い冬のようでも春の暖かさのように感じられます。感動は事柄の小ささや大きさでは決まらないが、あなたの心で一切の事物を感じることです。

最近の2カ月の中で、私にはある感動があったので、今、太陽のような私がいる。今年の春に事故で私は手の指を一つ失いました。私はどうしてもこの現実を受けいれることができませんでしたし、直面したくありませんでした。その当時毎日の生活は悲観的だったし、がっかりしていました。それにあまり話しもせず、毎日家で静かにしていました。

この生命力あふれる春の中に、一切の事物がすくすくと成長していますが、私は枯れしぼんでいました。そんな中、あまり関係のなかった日本人が私に援助の手を差し伸べてくれました。その人はとても慈悲深く優しい人で、自分には子供が一人もいないと言っていました。私を本当の娘のように面倒をみてくれて、「前向きになれ、前へ進め、前の太陽のようなあなたに戻れ」と言ってくれました。治療している病院はちょっと遠いので、その人はいつも休みをとって私を病院へ連れて行ってくれました。時々、私の気持ちが楽になるように海へ連れて行ってくれました。これらのことは私にとって、本当の父親みたいでした。私は留学生として日本にいますから、両親とはなかなか会えません。こんなにひどいことが起こって本当に両親と会いたいです。でもこの人がいろいろと世話をしてくれて本当に心を打たれました。寒かった心が温かくなりました。もし私が落ち込み続けていたら、みんなの苦労に合わせる顔がありません。あのときの感触はそろそろ枯れしぼむ木のようでした。それが春の雨に潤わされてきた感じです。

人生はこのようだ。得ると失うは等しいものです。私は1つの指を失いましたが、他の人には感じられないような幸せを得ました。そのうえ、前は私たち外国人と日本人の間は仲良くできないと思っていた私は違いました。今わかりました。世界は感動があったら、国家なんて関係ありません。今回私はいろいろな人に恩を感じました。今度は私ががんばって恩を返したいです。それに、もっとたくさんの人に「この世界は感動がありさえすれば国家なんて関係ありません」と知らせたいです。あなたの心で周りのことをもっと感じてみてください。きっとそこには感動があるはずです。

 

第10回(2011年)奨学生


 

BURIAD MUNKH-OCHIR さん(モンゴル出身・YIEA東京アカデミー卒業・男性)

 
「日本語学習の目的」  〜 応募作文より

 私はアルバイトをしながら生活を送っている多数のモンゴル留学生の一人です。

2003年に高校卒業後、建築マネジメントの専門を選択し、国立科学技術大学に入学。大学では専門の勉強に専念でき、さらに実践的な経験を身に着けたいと考えました。3年生の夏休みに、日本の建築会社でアルバイトができる良い機会がありました。約1カ月の勤務でしたが、日本人のエンジニアから多くのことを学び、日本の文化及び建設技術に深く興味をもつようになりました。また、自分の専門は将来性があり、国の発展に貢献できると確信し、勉強する意欲がいっぱいになりました。そして、がんばった結果、3年生ではモンゴルの建築エンジニア協会主催の大会でチームワーク部門で2位を獲得し、4年生の卒業論文が優秀な論文として受賞しました。

 大学卒業後、日本投資のスルガモンゴル有限会社に就職しました。モンゴルの首都の大規模な合団地プロジェクトを推進し、88ヘクタールの土地に3000戸ほどのマンションを建設している、建設業界において評判のある会社です。この会社では、建設技術はさらに、日本人の能力に魅力を感じました。そのため、日本へ留学することを決意しました。

20105月に来日してから、今まで、技術的な勉強及び日本人とのコミュニケーションができるよう、日本語を一生懸命勉強しております。YIEA東京アカデミー日本語学校を卒業後は東京工業大学、建築学専攻で建築計画について研究したいと考えております。

 日本語がまだ未熟な私にはアルバイトも限られ、生活が苦しいときもありますが、将来のためにあきらめずに努力しています。より多くの時間を勉強のために使いたいのが私の本当の気持ちです。そのためにこの奨学金に応募しております。

 私はモンゴルと日本の架け橋になり、両国の発展に貢献できるようにできるだけ努力していきたいです。

 

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