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大学や専門学校で学ぶ学生は「留学生ビザ」を取得することができますが、ほとんどの民間日本語学校で学ぶ学生に与えられるのは「就学生ビザ」であり、異なる待遇となります。例えば、一部を除いたほとんどの就学生は、通学に使う定期券には学割が適用されず、また留学生向けの安価な学生宿舎に住むことも出来ません。さらに、学費には消費税が課税されますのでこれも払わなければなりません。そして、彼らを支援するための奨学金はというと、就学生を対象にした民間の奨学金制度は殆どなく、また日本政府が支給する学習奨励費がもらえるのは全体の0.5%にも満たないのが実情です。 このような現状を知った李さんのご両親は、「母国と日本の架け橋を目指したご子息の遺志を継ぐために、同じように大志を抱き日本で学ぶ就学生を奨学金という形で支援したい」と1000万円を寄附されました。この寄附金を基に関係者が各界に呼びかけ、李秀賢さんの一周忌に当たる2002年1月26日「李秀賢顕彰奨学会」が発足しました。その後、同年10月10日に関係官庁のご支援も頂き、NPO法人として李秀賢さんの頭文字をとり「エルエスエイチアジア奨学会」となりました。 奨学会は李秀賢さんの遺志並びにご両親の思いを末永く継続すること、一人でも多くのアジアからの就学生を応援し、将来の親日家、知日家を育てることを目標としています。 2002年1月26日 李秀賢顕彰奨学会を設立 |
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平成13年 |
午後7時15分JR山手線新大久保駅で誤ってホームから転落した見知らぬ日本人を助けようとして、韓国からの留学生李秀賢さんと日本人カメラマン関根史郎さんが死亡する。 |
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1月29日 |
留学先の赤門会日本語学校にて李秀賢さんの学校葬が営まれる。日本全国から日本語学校先生、教職員、一般の方々数百人がその死を悼み参列。また森総理を初め、福田官房長官、河野外務大臣、町村文部大臣等の閣僚、その他、田中真紀子衆議院議員をはじめ多数、政治家が次々と弔問に参列、金大中韓国大統領等からも弔電が届く。 |
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2月8日 |
本事件発生に伴い、公明党浜四津敏子代表代行より森喜朗内閣総理大臣宛に「ホーム転落事故防止並びに日本語学校就学生への学割適用に関する緊急申し入れ」が行われる。 |
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3月 |
財団法人日本語教育振興協会理事長等が、全国から集まった見舞金と励ましの言葉を届けるため韓国の李さんご両親宅を訪問。なお、この励ましの言葉は、後日、文集に編集され全国の日本語学校に配布される。 |
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3月 |
李秀賢さん、関根史郎さん追悼コンサートがヴァイオリニスト丁讃宇氏主催により開催される。 |
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4月 |
JR新大久保駅に李君、関根さんの行為を称えた顕彰碑建立される。 |
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4月 |
李君ご両親より赤門会日本語学校理事長等に「母国と日本の架け橋を目指したご子息の遺志を継ぐために、同じように大志を抱き日本で学ぶ就学生を支援する奨学金制度を作るために寄付をしたい。」との提案がなされる。これを受け、日本人有志が集まり奨学金制度の検討を開始する。 |
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6月 |
「第3回日本後学校語学留学生の祭典」(東京地区日本語学校ネットワーク、クロスカルチャープラザ共催)に集まった4000人以上の日本語学校生(就学生)が、李秀賢さんに黙祷を捧げる。 |
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7月 |
赤門会日本語学校正門前に李秀賢記念公園が作られる。 |
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8月 |
ご両親から提案されて就学生への奨学金制度の創設を検討していた日本人有志グループが「李秀賢顕彰奨学会準備会」を正式発足される。 |
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10月 |
小泉首相が訪韓し、お見舞いにご両親と会われる。 |
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11月 |
李君ご両親が財団法人警察協会の主催する「全国殉職警察職員、警察協力殉難者慰霊祭に外国人遺族としては、初めて招かれる。また慰霊祭後に行われた皇居特別参観に訪れた際、皇后陛下より励ましのお言葉をいただく。 |
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11月 |
「李秀賢顕彰奨学会」の奨学金事業が国際交流基金より特定助成対象事業としての認定が内定され、奨学金募金募集金が特定寄付金として扱われ、税制上の優遇を受けられるようになる。 |
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平成14年 |
李秀賢さんのご両親より1000万円を奨学金として奨学会にご入金いただく。 |
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1月26日 |
李秀賢顕彰奨学会の設立総会が開催され、同会が正式に発足する。その後同会場で引き続き李秀賢、関根史郎一周忌慰霊祭がしめやかに営まれました。 |
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3月 |
国際交流基金に対し2月末までに預った特定寄付金23,756,826円を振り込む。(第1回分) |
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3月27日 |
国際交流基金から特定助成金として23,756,826円の助成が決定し入金される |
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